【読書_1冊目】勝負論 ウメハラの流儀

書籍情報

項目 内容
タイトル 勝負論 ウメハラの流儀
発売年 2013
読んだ日 2023/8/26
おすすめ度 🌟🌟🌟🌟🌟

読んだ理由

経緯

  • twitterで面白いと流れていた。
  • 元々格闘ゲームが好きで、ウメハラの動画を見たことがあった。
  • 最初なので肩肘張らない分野がいいと思った。

学びたいこと

  • 勝負事における心の持ち方
  • トッププレイヤーが何を考えているのか

ざっくりと感想

素晴らしかった。トッププレイヤーがトッププレイヤーで居続ける為の心のあり方に触れられた気がした。
特に良かったのは、「一回一回の勝ち負けは大きな意味をなさず、その中で成長し続けることが大切」という考え方。
他者との競争に疲れる場面が出た場合に、何度も読みたい内容だった。

この動画は今見ても鳥肌立つ。
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刺さった内容

僕は、26歳の時に、子どもの頃から親しんできたあらゆる勝負事を放棄し、勝ち負けが関係ない世界に生きようと考え、老人福祉施設で介護の仕事を始めました。
ずいぶんな回り道をしたあげく、僕は27歳で再びゲームセンターに戻ってきました。すると、勝ち負けにこだわらない勝負の形があること、
勝つことへの執着から解放されるようになって、かえって勝てるようになることを悟ります。

僕は、今よりもずっとゲームに対する世間の理解がなかった頃から、どうすればゲームを知らない人、ゲームに関心がない人にまで、ゲームをもとに考えてきた内容を認めてもらえるのかを、常に考えていました。
どうして、高校球児はインタビューを受けて、自分はそうではないのか。
これは、ある意味コンプレックスに近かったといえます。野球少年は、わざわざ野球の素晴らしさ、楽しさを、ゼロから伝える必要はありません。多くの人はもうわかっているからです

勝負の世界にいすぎて、全く関係ない介護の世界に飛び込む行動力がすごい。だってプロゲーマーなんて本当にいなかった時代で凄い影響力のある人なのに、これを実行しちゃうのが凄い。
また、トッププレイヤーの孤独とそれを分かってもらいたい思いが溢れてて、元々周りからの評価を気にする人なんだなあと思った。承認欲求があること自体はやはり良いこと。

勝ち続ける、というのは、つまり成長し続けているということです。
同時に、決して誤解してほしくないのは、ある時点での実力差、能力差は、その後の成長力で必ず埋められるということです。これは、どんな世界でも共通していることだと思います。

どうしても目標という言葉を使うのなら、「毎日、来る日も来る日も、自分を成長させるリズムを維持すること」が該当する。それが一番大切なことだからだ

この本の全て。 これは、例えばある施策においてABテストをして勝敗が決まっても、それは1つの結果でしかなく、それを通してもっと成長することこそが重要という、短期的ではない長期的な視点で本当に良い。

僕が勝ち続けたいと思い、また勝ち続けられているもっとも根本的で単純な理由は、「幸せになりたいから」です。

根源はハッピー。シンプルで揺らぎない。

しかし本当は、他人に勝つことではなく、成長することが勝利である。

常に目を切らさないようにしているのは、自分自身の成長である。そして、自分が成長の軌道に乗っているかどうかの確認作業だ。

どうしても目標という言葉を使うのなら、「毎日、来る日も来る日も、自分を成長させるリズムを維持すること」が該当する。それが一番大切なことだからだ

何回も繰り返して振り返りたい言葉。成長の軌道に乗っていれば負けても良い。成長の軌道に乗っているかは振り返りとその後の計画だてですな〜

だから、僕が言う「勝ち続ける」とは、決して表面上の連勝、あるいは「100戦100勝」のような状況では絶対にないことをまず知ってほしい。
むしろ、連戦連勝、100%勝ちたいなどと望むのは、病気に近い危険な発想だと思う。
あるいは、魔法や超能力が使えるようになりたいというような、無邪気で無茶な希望に近い。

しかし、なりふり構わずただ結果としての「勝ち」だけを追いかける人は、長期的には伸び悩む。成長を持続できないからだ。

間違いないね〜 個での成果はこれに近いと思う。勝ち続けるために、勝つことが目的になると破滅すると思う。

勝ち続けるとは、「頑張ることにためらいを持たない」ことでもある。打ち込むことに、ぜひためらいを持たないでほしい。どれだけ悩んでも、不器用でもいいから、自分の好きな、進みたい道を進んでほしい。

好きなことをしないと、続けられないのは真理だと思う。

その結果僕がつかんだのは、勝つためだけに生きるのではなく、自分の成長を考えることで最終的に勝ってしまう、今のスタイルだったのだ。

仕組みそのものの確立により、勝ち続けることができてしまうスタイルができてしまったって点が超越者感あって凄い。こうなりたい。

まず、僕が強く勧めたいのは、効率を最優先しないことだ。

基礎固めの段階こそ、たとえ最初のうちはボロボロに負けようと、人から笑われようと、納得て切るまでじっくり時間をかけて回り道して考え、あえて定石やセオリーとされるものを疑い、時には崩してみる。
自分で体験し、体験を通して学んでみる。そして、セオリーの意味を自分で再発見する。

回り道をすることの大切さ。同時に、周りからなんと言われてもそれを貫くことの大切さ。

大切なのは「自分が何ができないから結果が出せないのか?」という考え方である。

自分のできていない点に目を向けることが大事。得意なことに目を向けがちだが、これをしっかりみることが重要。

僕の考える、ちょうどいい負荷の設定条件とは、「意識すればできるが、意識しないとできないこと」といった表現になる。
その辺のレベルにある動作を、徹底的に学ぶのだ。

成長の為の、負荷設定。意識しないとできないことを、無意識でできるようにすること。

失敗から得るものの方が大きいということを知ると、反省が最高に気持ちいい作業になる。

初めから成長することを目的にすると、まさに反省作業がそれに一番寄与する。
これはフィードバックを受け入れる時の姿勢としてかなり重要だと思う。

それ以上を目指そうと考え始めると、今度は反対にその能力が自分の成長を止めてしまう。
まずは、「自分は結構レベルが高い」と思い込むことによる慢心によって、成長そのものが緩み、止まること。
そして自分の思考方法や持っている知識が実は他人の持っているものと変わりがなく、ただそれを会得するスピードだけで勝負してきたことが露呈し、その後の成長が一切できなくなってしまうことだ。

謙虚さが大切な理由。無知の知的なスタンス。だからこそ成長し続けることができる。

自分だけのオリジナルの知識。他人に見えにくい、見てもわからない、見ただけでは盗めない知識。
自分の体験からしか学べない知識だ。
もちろん大切なのは、自分だけのオリジナルの知識を集めること。
そのもとになるのは、ここまで述べてきたような深い思考だ。
そして、そのベースになるのが「変化を続ける」ということである。

これは組織の中にいると、これを共有できる知識に変える力も重要になると思う。
自分だけの知識を周りに拡散し、自分はさらに自分だ毛のオリジナルを仕込んでいくという両輪が必要になると思う。

僕は、たとえ自分で考えた知識、編み出した技術であろうと、隠すことが好きではない。
どうせ使えば見えてしまう。
見えてしまう部分を真似されることは一向に構わないし、質問されればいくらでも答える。
隠そうとする自分が嫌いだからだ。

このスタンスで行きたい。自分も隠す必要がないと思っている。

でも、それでいい気になり、自分の得意技にあぐらを書いてダメになっていく人を、僕は何人も見てきた。
そもそもこうした形で人を褒めるのは、戦いの世界では時としてそれ自体が戦術になっていることもある。
相手の目を自分の現時点の長所に釘付けにして、勝つために必要な成長を止めることができるからだ。
真剣勝負の世界でライバルから褒められたら、少し気をつけるくらいでちょうどいい。

自分の成長のために、褒められて良い気分になっていてはダメ。

むしろ、個性は出そうと思って出るものではなく、「個性的でありたい」と考えることはかえって危険であるとも言える。
僕の見てきた経験からは、早いうちから個性を出したがる人ほど、成長が遅くなってしまう傾向があるように思う。
何を隠そう、僕自身も初めはそうだった。

個性的であるのは結果的にそうなるだけで、個性的でありたいと思う行為は成長の妨げになるってことだろう。

深い思考ができているか、成長しているか判断するのはあくまで自分の「内的な評価」であって、決して外的な評価に依存してはいけない、ということだ。
そうでなければ楽しさがなくなり、持続することが辛くなってしまう。

あくまで判断するのは自分。自分が成長したいと願い、成長できているかを判断する。

思考する際、決してしてはいけないことがある。
それは、自分を人と比べないことだ。

これマジで大切だと思う。人と比べることに意味がない。成長のために良いところをパクるためにやるのは良いと思うけど。なぜなら人と自分の基準はだいぶ違うから。

自分自身が成長し続けることと同時に、成長し続けている事実を自分で把握することも大切な能力だと考えている。

成長することを目的にするなら、それを判断するための方法も一緒に考えるのがやっぱ良い。

格闘ゲームに生きる僕が最近特に考えているのは、戦ってくれる相手を尊重することだ。

相手への尊重も重要。

しかし、手段を選ばなかったために、次第に彼と対戦してくれるゲーマーは減っていった。

倫理的に正しいとか、フェアだとか、結局個での成長に限界があるからこそ、他者を尊重しないといけない。

「ネガティブな感情をコントロールすることの必要性」だ。
これは、目先のパフォーマンス向上だけでなく、最後は直接幸福感を上昇させるための、勝ち続ける為の原動力になるのではないかと思うのだ。

まず、大前提として、ネガティブな感情の発生そのものは抑えられないことを知ってほしい。
嫌なことに直面したら気分が滅入る。
理不尽なことに接すれば、頭にくるし腹も立つ。
それ自体は抑えられない自然な現象だ。
だから、そうした負の感情をコントロールすることが大切になってくる。
従って、ここでいうコントロールとは、悲しむな、腹を立てるな、ということではない。表に出さないようコントロールしようということなのだ。
感情を表に出す基準を変化させてみる、という言い方でもいいだろう。

こういう言語化が素晴らしい。
間違いなくネガティブな感情は邪魔。負けたくないとかの感情は、年齢を重ねると結構邪魔になるのは実感する。

最初は外部の批判に対して防御する。
直接言い返さないまでも、自分の心の中では反論を構成してしまう。
批判を受け止めてしまうことの本質的な問題は、「自分がいけない気になってしまうこと」だからだ。それは成長を邪魔する。

だが、どうせ相手は対して考えて批判しているわけではない。決して見下しているのではなく、僕に関して、僕以上に時間をかけ、必死になって考えている人はいないからだ。

批判を受けた時の心の持ち方。確かにその通り。

価値づつけるメンタルを考えるとき、絶対に避けて通れない道がある。
それは「孤独に耐える」ことだ。

ウメハラ曰く、必ず成長を続ける人はこれにぶち当たるらしい。なので、トータルで見ると良い変化の一つの過程で、正しいステップらしい。深い・・・。

しかし、多くの人は孤独そのものに耐えられなくなる。
確かにひとりぼっちは寂しい。
人と繋がりたくなる。
でも、踏ん張りどころは、そこにある。

勇気をもらえる言葉。踏ん張りどころということがわかる。

努力することに、成長を続けることは、それ自体が幸福感に直結している。
だから、成果を求めてはいけないし、成果が必ず出るなんて考えるのは驕りそのものだ。

むしろ安心感や充実感は、ずっと成長し続けていることだけによって得られる。
今成長し続けていれば、きっとこの先だって大丈夫だ。
そしてそう思えることそのものが幸せの形だと思う。
それこそが報われている状態なのだ。

基本的な考え方にしたい格言。

成長は、死ぬ瞬間まで続けられるのです。
なんと嬉しいことだろうかと思います。
だってこの先、死ぬ瞬間まで、僕はずっと幸せでいられるのです。

これが最後の一文なんだけど、マジですごいの一言。

ん、なっがw ちょっとまとめとか必要だ。。まとめ方考えよ